八千代さんお手製のキャラメルは市販のものより柔らかめで口解けがいい。
甘さも絶妙で、俺もかなり好きだったから、作ってもらったそれを、嬉々として持ってきていたんだ。花々里《かがり》に拒否られても、俺自身が食えばいいだけだと思って。
キャラメルを見せた時の、花々里のキラキラした目を、俺は今でも鮮明に覚えている。
夕飯はダメでも、お菓子ならいいという浅知恵具合が可愛いらしいな、と思ったのと共に――。
その思いが、長じてから「愛しくてたまらない」になるなんて……その時の俺には知る由もなかったのだけれど。
私、別にとっても小さい頃からこんなに食い意地の張った女の子じゃなかったみたい。
それこそお父さんが亡くなるまでは割と普通の女の子だったってお母さんも言っていたし、何なら寛道《ひろみち》からも「そんなじゃなかった」と指摘されたこともある。
その話をするとき、お母さんはとても申し訳なさそうに話すんだけど、私はあまり覚えていないから気にしてないの。
「花々里ちゃんが今みたいに食いしん坊さんになったのはね、お母さんのせいなのよ」
そう前置きされて語られる言葉に、私はイマイチ実感が持てなくて。「お父さんが亡くなって、お母さん、花々里ちゃんをひとりで育てていかなきゃって思ってね、お仕事の量を増やしたの」
頼綱《よりつな》のお父様が経営しておられる産婦人科の看護師として働いていたお母さんは、院長先生にお願いしてシフトを多めに入れてもらったり、それでも少ないと感じて近所の24時間営業のスーパーでレジ打ちのバイトをしてみたりしたんだとか。「花々里ちゃんは聞き分けのいい子だったから。昼間は保育園でいい子にしていてくれたし、夜だってシッターさんの手をそんなにわずらわせなかったみたい」
小さい頃から人見知りはなかったらしくて、誰にでも物怖じしないところのある子供だったらしい。 だからといって、お母さん